その他
今年は、祇園祭に週末がかかり大変な人出だそうです。
数日前にも、祇園の事にはふれましたが、祇園社の話。
祇園社は、元慶元年(877)、藤原基経が自邸を寄進し建立されたと言われています。
正式名称は祇園社感神院(ぎおんしゃかんしんいん)「祇園」という名前は、お釈迦様の
おられた「祇園精舎」に由来しています。
インドの祇園精舎の守護神が、日本では天神と知られる牛頭天王(ごずてんのう)であ
ったので、平安京の祇園社でも牛頭天王を祀る事となりました。この牛頭天王は、インド
の牛の頭に似た牛頭山に住んでいたとされ、その山に自生していた「せんだん」という植
物が熱病に効くところから、疫病を防除する神と信じられた。
この牛頭天王の本地が、当時本堂内「薬師如来(重文)」(写真)です。

この栴檀が薬草であることから、本地薬師如来に通じているということです。
八坂神社の本殿のスサノオノミコトは牛頭天王と同じ神だと信じられていたそうです、
素戔嗚尊ー牛頭天王ー薬師如来という関係があったよういです、
明日は、山鉾巡航の日。天候も良さそうです。
今の、暗い日本が少しでも元気になること当寺「薬師如来さま」にも祈念いたしました。
数日前にも、祇園の事にはふれましたが、祇園社の話。
祇園社は、元慶元年(877)、藤原基経が自邸を寄進し建立されたと言われています。
正式名称は祇園社感神院(ぎおんしゃかんしんいん)「祇園」という名前は、お釈迦様の
おられた「祇園精舎」に由来しています。
インドの祇園精舎の守護神が、日本では天神と知られる牛頭天王(ごずてんのう)であ
ったので、平安京の祇園社でも牛頭天王を祀る事となりました。この牛頭天王は、インド
の牛の頭に似た牛頭山に住んでいたとされ、その山に自生していた「せんだん」という植
物が熱病に効くところから、疫病を防除する神と信じられた。
この牛頭天王の本地が、当時本堂内「薬師如来(重文)」(写真)です。

この栴檀が薬草であることから、本地薬師如来に通じているということです。
八坂神社の本殿のスサノオノミコトは牛頭天王と同じ神だと信じられていたそうです、
素戔嗚尊ー牛頭天王ー薬師如来という関係があったよういです、
明日は、山鉾巡航の日。天候も良さそうです。
今の、暗い日本が少しでも元気になること当寺「薬師如来さま」にも祈念いたしました。
「祇園」という言葉を聞けば、全国の多くの方は京都の祇園街、所謂「舞妓はーん」をイメージされることでしょう。
でも、京都では祇園が八坂神社の前身「祇園社」に由来している事をご存知な方も多いです。
明治の廃仏稀釈までは、八坂神社を祇園社感神院(ぎおんしゃかんじんいん)といい、社内には神様と仏様が共存されていたんです。
その時代のお話です。
私は仏教徒ですので、神さんのことはよくわかりませんが当時祇園神殿には、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)の本地といわれる「牛頭天王」(ごずてんのう)がお奉りされていたそうです。
来月は祇園祭りですが、今も鉾町では牛頭天王の掛け軸などをまつっておられる所がありますので、観光にお越しの際はご覧になってみてください。
その、神殿(本殿)の西側に、薬師堂(祇園寺・観慶寺と呼ばれたお寺)があり「牛頭天王」(ごずてんのう)の本地仏の薬師如来(伝教大師作・写真下)がお奉りされていました。
そんな京都の歴史にとって貴重な仏様が、今は当大蓮寺におられます。
最近、祇園にお住まいの方に聞いたのですが、廃仏が決まった時、その方のご先祖や町内の方々は必死の思いで仏様を担ぎ出されたようです。そこから民家に隠され、やがて縁のあった近隣寺院(当寺)に運びこまれました。
でも、薬師如来さまの災難は終わりません。五条西洞院付近の大蓮寺に移された後、第二次世界大戦中の昭和20年に強制疎開させられ大蓮寺は潰され、東山二条の現在地へ荷車で運ばれたようです。
本当に国の都合により、京都の歴史にとっても大切な仏様が粗末に扱われた時があるんです。

祇園社本地仏 薬師如来像ー重文ー 大蓮寺本堂内(秘仏)
明治以前の日本の信仰は、本地垂迹説という考えがあり神仏が習合しており、遠い世界の仏様(本地)が現世では神様として我々に近い存在としてお姿を表していただいている(垂迹)という考えがベースになっています。この事は後日もう一度発信しますので、今はあったということだけを覚えておいてください。
祇園社は、疫病封じというという部分が強く、祇園祭の前身といわれる祇園御霊会も疫病封じからはじまったといわれています。
「牛頭天王」は栴檀でできていたらしいですし、本地薬師如来さまとも薬という「キーワード」でつながっていたんですね。
でも、京都では祇園が八坂神社の前身「祇園社」に由来している事をご存知な方も多いです。
明治の廃仏稀釈までは、八坂神社を祇園社感神院(ぎおんしゃかんじんいん)といい、社内には神様と仏様が共存されていたんです。
その時代のお話です。
私は仏教徒ですので、神さんのことはよくわかりませんが当時祇園神殿には、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)の本地といわれる「牛頭天王」(ごずてんのう)がお奉りされていたそうです。
来月は祇園祭りですが、今も鉾町では牛頭天王の掛け軸などをまつっておられる所がありますので、観光にお越しの際はご覧になってみてください。
その、神殿(本殿)の西側に、薬師堂(祇園寺・観慶寺と呼ばれたお寺)があり「牛頭天王」(ごずてんのう)の本地仏の薬師如来(伝教大師作・写真下)がお奉りされていました。
そんな京都の歴史にとって貴重な仏様が、今は当大蓮寺におられます。
最近、祇園にお住まいの方に聞いたのですが、廃仏が決まった時、その方のご先祖や町内の方々は必死の思いで仏様を担ぎ出されたようです。そこから民家に隠され、やがて縁のあった近隣寺院(当寺)に運びこまれました。
でも、薬師如来さまの災難は終わりません。五条西洞院付近の大蓮寺に移された後、第二次世界大戦中の昭和20年に強制疎開させられ大蓮寺は潰され、東山二条の現在地へ荷車で運ばれたようです。
本当に国の都合により、京都の歴史にとっても大切な仏様が粗末に扱われた時があるんです。

祇園社本地仏 薬師如来像ー重文ー 大蓮寺本堂内(秘仏)
明治以前の日本の信仰は、本地垂迹説という考えがあり神仏が習合しており、遠い世界の仏様(本地)が現世では神様として我々に近い存在としてお姿を表していただいている(垂迹)という考えがベースになっています。この事は後日もう一度発信しますので、今はあったということだけを覚えておいてください。
祇園社は、疫病封じというという部分が強く、祇園祭の前身といわれる祇園御霊会も疫病封じからはじまったといわれています。
「牛頭天王」は栴檀でできていたらしいですし、本地薬師如来さまとも薬という「キーワード」でつながっていたんですね。
今日は、お釈迦さまの涅槃の日です。
西行法師のおうたに
「願わくば
花のもとにて
春死なむ
その如月(二月)の
望月のころ(十五日)」
とあります。どうせ必ず死ぬのならせめてお釈迦
さまのようなおだやかな最後を迎えたいという思
いをうたっておられます。
お釈迦さまは、遺教経という教えを最後に説き、度
すべき人はすべて度し終えて、すべての弟子、信者
多くの生きとし生けるものに見送られて、おだやか
に最後を迎えられました。
多く人がの昔より、こんなお釈迦さまの最後にあや
かりたいと考えておられました。
今の葬儀でも、その名残があります。
亡くなった方を北枕にするのも、涅槃図を見ていた
だければお釈迦さまは、北枕西向きです。
シキミを枯らすのも、棺桶を親戚の男性が担ぐのも
お釈迦さまの葬儀に由来します。
誰もが、死を迎えるのは嫌です。
でも、いずれは必ずある死ならば、来るべき日、お
釈迦さまのように穏やかな最後になるように願う日
が涅槃会です。
南無阿弥陀仏
西行法師のおうたに
「願わくば
花のもとにて
春死なむ
その如月(二月)の
望月のころ(十五日)」
とあります。どうせ必ず死ぬのならせめてお釈迦
さまのようなおだやかな最後を迎えたいという思
いをうたっておられます。
お釈迦さまは、遺教経という教えを最後に説き、度
すべき人はすべて度し終えて、すべての弟子、信者
多くの生きとし生けるものに見送られて、おだやか
に最後を迎えられました。
多く人がの昔より、こんなお釈迦さまの最後にあや
かりたいと考えておられました。
今の葬儀でも、その名残があります。
亡くなった方を北枕にするのも、涅槃図を見ていた
だければお釈迦さまは、北枕西向きです。
シキミを枯らすのも、棺桶を親戚の男性が担ぐのも
お釈迦さまの葬儀に由来します。
誰もが、死を迎えるのは嫌です。
でも、いずれは必ずある死ならば、来るべき日、お
釈迦さまのように穏やかな最後になるように願う日
が涅槃会です。
南無阿弥陀仏
先日、ある方より頂いた龍の口の取り付け工事が
おわり、今日から使用できるようになった。

この口から出ている水は、当寺の地下30〜50m
よりくみ出されているもので、
比叡山に降った雨が、長い年月をかけ地下にしみ
込み、京都市内(鴨川より東)の地下に流れてい
る水です。大変きれいな水で飲料できるものです。
おわり、今日から使用できるようになった。

この口から出ている水は、当寺の地下30〜50m
よりくみ出されているもので、
比叡山に降った雨が、長い年月をかけ地下にしみ
込み、京都市内(鴨川より東)の地下に流れてい
る水です。大変きれいな水で飲料できるものです。
今年も、秋の公開の日が決まりました。
11月3日(水・祝)〜14(日)
【13日(土)午後1時〜 十夜法要
2時〜 安産阿弥陀如来
御腹仏開帳 年一度】
詳細は京都古文化保存協会ホームページへ
当、大蓮寺は
本尊安産阿弥陀如来像をはじめ
重文 薬師如来像(祇園社旧本地仏)
夜叉神明王、洛陽八番観音菩薩等のほか
谷文晁 筆「月賦」(写真)を初公開します。
学友で書家の関克明が、文選の中から月賦を
書き、その風景を谷文晁が日本画にしたもの
で、二人の強い結びつきをあらわす一品でも
あります。

大蓮寺 寺宝
11月3日(水・祝)〜14(日)
【13日(土)午後1時〜 十夜法要
2時〜 安産阿弥陀如来
御腹仏開帳 年一度】
詳細は京都古文化保存協会ホームページへ
当、大蓮寺は
本尊安産阿弥陀如来像をはじめ
重文 薬師如来像(祇園社旧本地仏)
夜叉神明王、洛陽八番観音菩薩等のほか
谷文晁 筆「月賦」(写真)を初公開します。
学友で書家の関克明が、文選の中から月賦を
書き、その風景を谷文晁が日本画にしたもの
で、二人の強い結びつきをあらわす一品でも
あります。

大蓮寺 寺宝
9月になって残暑厳しきおりがら、と
言いたい所だが、こんなん残暑とちが
う、盛夏や。
いままでと、全然ちがうと感じるのは
京都市民は、みんな感じていますが、
あの「大文字山」が紅葉しているのだ、
それも、色づいているわけでなく、枯れ
木だらけになっているのです。
これは、これからどうなっていくのだろ
うと、温暖化していく事に不安を感じる。

当寺本堂から見た大文字山
そんな、猛暑の影響は我が寺の庭でも、起
こっている。
もう、とっくにシーズンがすぎている蓮に
まだ、こんなにちいさな蕾がついている。
(写真下)
すべてが例年とちがう。
明日も法事があるが、冷房がついていない
本堂内では、熱中症に注意しなければ、と
思う。

言いたい所だが、こんなん残暑とちが
う、盛夏や。
いままでと、全然ちがうと感じるのは
京都市民は、みんな感じていますが、
あの「大文字山」が紅葉しているのだ、
それも、色づいているわけでなく、枯れ
木だらけになっているのです。
これは、これからどうなっていくのだろ
うと、温暖化していく事に不安を感じる。

当寺本堂から見た大文字山
そんな、猛暑の影響は我が寺の庭でも、起
こっている。
もう、とっくにシーズンがすぎている蓮に
まだ、こんなにちいさな蕾がついている。
(写真下)
すべてが例年とちがう。
明日も法事があるが、冷房がついていない
本堂内では、熱中症に注意しなければ、と
思う。

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